認識を改めていくことの難しさを考えると、誤った認識を持たないことが重要だ
小さい頃に形成された認識はなかなかどうして根深いものである。
なぜそのような認識が形成されたのかすらわからないほど、自然と自分の中に根付いているものである。
だからその認識が間違っている場合や、本来の正しい姿を反映していなくても、なかなかそれに気づくことが難しい。
私の場合、自分に対する認識がちょうどそんな感じで、随分と卑屈な自意識を10代の頃に持つようになってしまっていたように思う。
これを覆すのはなかなか難しい。
基本的に卑屈さなど持っていない方が絶対的に良くて(幸せに生きていくという点において)、それを頭ではわかっていながらも、自分に対してもつイメージというのを変えていくのは難しいのだ。
今思えばなのだが、勉強は割りとできる方だと思うのだが、小さい頃は勉強ができないと思い込んでいた。
やってもやってもたいしてできるようになりっこない、という認識あったので、真剣に勉強に取り組むことがなかった。
それでも高校受験や大学受験になれば、否が応でも勉強しなければならないので、仕方なく勉強することになるのだが、ここで少しずつ自分のもつ認識を疑うようになる。
できないと思い込んでいた勉強が、実は結構できる方なのではないかと。
そして、この認識が完全に変わったのは公認会計士試験を経た、二十歳をとうに過ぎた時だった。
勉強という点においては、運よく誤った認識を正すことができたが、おそらく未だに間違った認識を持っていることが山のようにあるだろうし、それは何も私に限ったことではなく、ほとんどの人にあてはまることだろう。
自己に対するあらゆる認識を疑ってみること、誤った認識により二の足を踏んでしまう事、あるいは立場がかわって人を育てる時に要らぬ認識を与えてしまうこと。
これらがその人の人生にどれだけの影響を与えることになるのか、よくよく考えたい。
あらゆる可能性が目の前にあることを知ることが、前に進むための背中を押してくれるはずだ。