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おかしいことをおかしいと言える感覚を大切に
NOと言えない日本人
組織で働くことの恐さの1つにおかしいことにおかしいと言えない、という要素があります。
昨日はこんなニュースがありました。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6389188
23人もいればこの時期にこの人数で宴会を行うことが国家公務員としての行動として相応しいかどうか、疑念を持っていた人は少なからずいたはずです。
あるいは23人のうちのほとんどが自覚していた可能性が高いのではないでしょうか。
それでもこういった不祥事は起きてしまいます。
NOと言えない日本人だから、と言ってしまえばそれまでですが、だとすればこの文化はあまりにも根深く息づきすぎているように感じます。
勿論これは公務員に限った話でもなければ、宴会に限った話でもありません。
おかしいことにおかしいと言えない場面は、様々なところで散見されます。
NOと言えない理由
その背景には以下のような要因があるのではないかと考えられます。
・出世のためには、結果よりも社内政治が重要
・議論の矛先が人格にまで及ぶ(議論や意見交換が下手)
・人と同じことを正とする価値観(出る杭は打たれる)
教育の重要性
こういった側面を変えていくにはやはり幼少期の教育が大きな役割を果たすのではないでしょうか。
人と違うことがむしろ重要であり、足並みをそろえる必要などないこと、そして一人ひとりが自律する精神を育んでこそ、「おかしいことにおかしいと言える」文化は醸成され、周囲の顔色をうかがいながら生きていく人が減っていくように思います。
20,30年前に比べれば、幾分状況は改善されていますが、それでもまだまだ改善の余地は大きいし、それだけ伸びしろがあるということでもあります。
急激に状況が変わることは期待しづらいですが、徐々に徐々に、時間をかけてゆっくりと文化は変遷していくことでしょう。
価値観の変遷・・・天動説と地動説
天動説が支持されていた当初、地動説はなかなか受け入れられませんでしたが、時の経過とともに天動説を支持していた人がこの世を去り、次第に地動説が支持されるようになった、というような話を何かの本で読んだことがあるのですが、私はこの話が好きで気に入っています。
つまり天動説の支持者に地動説を論理的に説き伏せて地動説が主流になったわけではなく、地動説の考え方が主流になったのは時間の経過のおかげだということです。
最後に
男女平等に関する考え方であったり、人種差別や多様性、そしてここまで触れてきた「おかしいことをおかしいと言えない」文化についても時間が経てばいつかより多くの人がよりより環境で生活できるような社会にかわっていくのだと思います。
その時に自分が古い価値観に囚われた老害にならないよう、価値観をアップデートし続けていくことが各人にできる社会への貢献なのではないでしょうか。