挨拶は強制するものではなく双方向のコミュニケーション
挨拶の意味
中学時代、部活の監督から挨拶しろとよく指導があった。
それ自体はいいことだと思う。
挨拶無くして良好な関係は築けないだろう。
ましてや上下関係が厳しくなり始める年頃だから、先輩には率先して挨拶していたし、そうしないと殴られたりしそうな雰囲気もあったからよく知らないけど怖そうな先輩にも挨拶していた。
勿論返事など返ってこないのだが、それはそういう儀式みたいなものだったのだ。
これに関しては関係を築くための挨拶ではなく、むしろ余計な関係を持たないためのツールとして機能していた。
それがあの頃の処世術だったと思う。
私に限らずほとんどの人はそうしていた。
話が逸れたが、当時の挨拶に関して未だに納得がいかないことがある。
部活の監督は、かならず部員からの挨拶を待っていた。
そして、部員からの挨拶がないとひどく立腹して嫌がらせのような練習メニューを課していた。
あれは指導なんていう立派なものではなく、明らかに嫌がらせだったし、もっと言ってしまえばいじめだった。
大の大人がまだ社会を知らない子供たちにする行為としては、ひどく低俗で野蛮だったと思う。
そもそも、挨拶は目下の者から目上の者にするものではない。
挨拶は双方向のコミュニケーションであって、子供が大人の機嫌を取るためにするものではないのだ。
性格はひとそれぞれだ。
明るく活発な子もいれば、人見知りで声が小さい子もいる。
前者にはなんてことないことでも、後者にはものすごくハードルが高いこともある。
本来大人がすべきことは、そんな引っ込み思案な子供たちに対し、高圧的に接することではなく、手を差し伸べてあげることではないだろうか。
挨拶の問題は、大人になってからも尾を引いて存在する。
挨拶を、上下関係を強化するためのツールとして利用している人がどれだけいることか。
矜持がある人というのは、相手が年上だろうと年下だろうと関係なく、社内の人だろうと社外の人だろうと関係がなく、分け隔てなく挨拶ができる人だと私は思う。
ふと20年も前のことを思い出し、記録として残しておこうと思った。
これを反面教師にし、誰とでも気持ちよく挨拶ができる人間でいたい。