仕事のこと

自由と責任

自由と責任

自由と責任の関係

自由と責任は互いに相関するものだと思う。

 

自由な校風

私が卒業した高校は、自由な校風で知られる学校だ。

公立の高校で、地域で3番目くらいの偏差値だったので進学校というほどでもないが多少は勉強ができる人が集まるところだった。

 

何が自由かと言えば、まず制服がない。

いわゆる標準服みたいなものもないので、3年間の間、各々本当に自分が着たい服を着てくる。

人によっては他校の制服を着てくる人もいれば、中学の時の制服で来る人もいた。

卒業式にはチャイナドレスを着ている女子もいたし、いつも通りの私服で参加する者もいた。

私も、学ランを着たことがなかったので、人から着なくなったおさがりをもらって着て行ったこともある。

 

それから、髪を染めたりピアスをしたり、アクセサリーを付けたり化粧をしても何も問題がなかった。

お金がなかったので美容院で染めたりすることはなかったけど、ドラッグストアでブリーチ剤を買って金髪にしたりもした。

 

アルバイトをしても問題なかったし、携帯電話を学校にもっていっても問題なかった。

それがその学校では当たり前だった。

 

ただ、そんな自由を謳歌しているとやっぱり自由をはき違える人が出てくるのも事実だ。

 

酒やタバコが先生に見つかれば当然停学処分になるし、暴力行為で停学処分になった友人もいた。

 

自由と責任を理解する

なんでこんな話をしたかというと、自由には責任が伴う、ということを私は高校時代に学んだからだ。

責任が伴わない自由などないし、責任を負いたくなければ自由は得られない。

 

責任はルールと読み替えてもいい。

ただし、ルールは明文化されているものもあれば明文化されていないものもある。

そこを読み違えると停学/退学処分になるし、有名人だと炎上したりする。

いつどんな時代、どんな社会においてもルールを守れなければペナルティが課される。

 

社会人としての自由

社会人として自由を得たければ結果が評価される土俵にたつべきだと思う。

ここでは責任及びルールは結果を出すことに他ならない(それだけではないが)。

多くの仕事で自由がないのは、評価基準が結果ではなく、時間の多寡になっている部分が少なくないからだ。

時間で評価されている限り、自由はままならない。

 

自由と責任は表裏一体であることを理解し、フィールドの選択を誤らないことが、有意義な人生を送る上では欠かせないことだと思う。