生活のこと

意味のないルール

意味のないルール

意味のないルールがいくつもある

世の中には意味のないルールが多くあります。

時代の移り変わりとともに減ってきているようには思いますが、それでもまだ気になるルールがあるのも事実です。

 

最近ではこんなニュースがありました。

都立高校の校則で“ツーブロック禁止”が波紋…理由は「事件に遭うから」? 不合理にも思える“ブラック校則”の是非

 

こんなくだらないルールがあることが不思議ですが、実在しているのもまた現実です。

 

他にも、「承知」と「了解」をビジネス上では「承知」を使いましょうとか、どうでもいいですね。

ただこれは無理矢理、社会常識に押し上げられてしまった感もあり、使われた方が不快に感じる場合もありですが。

 

あとはこんな意味のないルールを叫ぶ人もいますね

スーツにリュックは非常識、合成皮革の靴もダメ

 

物事の本質を考える力を養う

ここで大切なのは、物事の本質を考えることにあると思います。

 

他人に迷惑をかけるようなことは慎むべきだと思いますが、本質的には合理的なのに旧来からのならわしだからと思考放棄の結果受け入れているものは見直すことが必要だと思います。

 

いつどんな時代を生きていようと古い価値観を押し付けてくる層は一定数いるのは避けられないので、どんな状況であっても「自分で考え、自分なりのものさしで測る」ことを忘れずにいたいものです。

 

例えば、「スーツにリュックは非常識、合成皮革の靴もダメ」という謎のルールですが、これも本質を考えれば何も問題ないことと言えます。

リュックが機能的にその他のバッグに劣っている面等まずないですし、見た目の面は要は慣れの問題でもはや現時点で違和感がないレベルです。合成皮革の靴も、そもそも合皮の革靴かどうかに気づく人はよっぽどの靴好きの人くらいで、見た目も機能も本革に著しく劣るものではありません。

むしろ大事なのは、綺麗に磨かれていか)、靴底がすり減っていないか、色が抜けてしまっていないか、といったところでしょう。

物を大事にする心があるか、細かい所まで気を配れるか、そんな人間性が靴には表れていると思います。

逆に高級革靴を履いているのに磨かれていないと、この人は見栄ばかり気にする人なんだな、と思ってしまいます。

 

物事の本質を考える力は、日常的に考える時間をどれだけ持つかに比例すると思います。

他には、時代にとらわれずいつの時も名著とされる書籍等も参考になるでしょう。

 

最近の書籍だとこちらなんかオススメです。

この本の著者のブログも。

Chikirinの日記 – はてなブログ

 

自分の考えを貫き通す力

そして最後に自分の考えを貫き通す力。

これが一番重要かもしれません。

自分で考え、これが自分にとって正しい道だと思っても、その道を阻むものが出てくることが往々にしてあるわけです。

 

古い価値観に囚われている人、常識がすべて正しいと思っている人、上下関係がすべてだと思っている人、そんな人は自分の考えを他人にも強要してきたり、自分だけでなく他人まで型にあてはめようとしてきます。

 

こういった時自分の考えを貫き通すということは、必ずしも我を通すということだけに限りません。

どうにもならない状況、周囲の圧に自分の考えを曲げないとどうにもならない状況になることもあると思います。

そんな時はもうその環境から抜け出すことを考えても良いと思います。

周囲からは「逃げ」だと言われるかもしれませんが、本来動物は危険な状況から逃げるものですから。

※画像はネットから拝借しました。