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SNSの功罪2
SNSの害
SNSの功罪というタイトルで先日記事を書いた。
読んでいる本の影響もあって(その本についてはまた別のタイミングで)それからも引き続きSNSについて考えることが多い状態が続いている。
SNSは極論ばかりだが現実は
前回、SNSは「マウント合戦の主戦場」と化している、ということを書いたが、それに加えて今のSNSは極論がはびこりすぎているな、と感じる。
結局SNSでは極論のウケがよく、手っ取り早くフォロワーを増やすのに便利だから、ということなのだろうけども、情報収集に使いたいだけのライトユーザーからすると目を覆いたくなるような投稿が溢れかえってしまっている。
SNS上でどれだけ極論が歓迎されようと、現実の社会の中で極論を振りかざすだけで問題が解決することなどほとんどない。
他人の意見を否定する必要はないと思うけど、結果的に共感できない内容の投稿に対してスルーを決め込む必要が生じ、相当なエネルギーを使ってしまうことになる(何気ないことだから実感はわきづらいが、想像よりはるかに膨大なエネルギーだと目算している)。
自慢話は比較の原点
極論に加え、身近な人間関係の「自慢話」が多いのもSNSの問題点だと思う。
わざわざSNSで不幸話を披露する人はまずいない(不幸話で同情を誘うような人はさすがに30代ともなればいない)。
となれば当然のようにこんな良いことがありました、こんなに今幸せです、という投稿が多くなる。
これを私の性格がひねくれているから、と思う人は人類の中でも1%にも満たない幸福を感じている人くらいなもので、おそらく多くの人が少なくても1度や2度は同じような経験をしていると思う。
セオドア・ルーズベルトは「比較は喜びを奪う泥棒だ」、と語ったそうだが、まさにSNSは喜びを奪う泥棒に他ならない。
正確に言えば、その情報を発信している他者であるのだが、そもそもSNSのようなプラットフォームがなければ、そんな情報はインプットされることはなかった。
これを機に
これを機にまずはFace Bookを解約してみた。
そもそもほとんどログインすることはなかったけど、たまに覗いた時に嫌な思いをすることがあったから。
少しづつ、少しづつ、SNSひいてはインターネットと距離をとって、最適な距離感というのをつかんでいければと思う。