生活のこと

純粋に楽しめない自分の取扱い

純粋に楽しめない自分の取扱い

久しぶりの飲み会にて

今日は以前の仕事でご一緒した方々との飲み会に行ってきました(私はお酒飲めないのでソフトドリンクですが)。

こういった会に呼んで頂けるのはめちゃくちゃありがたいことで、人づきあいが上手ではない私にとっては貴重な機会でもあります。

集まった人たちの中でも特定の方とは仕事中にも非常に良い関係を築けていたこともあり、楽しみにしていたので非常に良い時間だったなー、と。

 

一方でどこかで純粋に楽しめなかった自分がいるのも事実。

 

十人十色とは言ったもので

そりゃ大人が何人も集まって話をすれば合わない人もいるわけで、そんなことは誰もが承知の上でうまいことやりくりしているのでしょうが、自分の場合はそう簡単には割り切れません。

 

なにより「自由」を求めて時間の使い方、住む場所、仕事の内容・受け方を決めている私にとって、人間関係だけを特別扱いし「不自由」を甘んじて受け入れる事はできません。

 

不安の種

プライベートの時に飲食店に入れば、当然のように同じ職場のメンバーと思しき人達による飲み会があちこちで繰り広げられるのを目の当たりにし、そのたび、今の自分の環境がどれだけ恵まれているのか思い知らされます。

彼ら彼女らの中にはもちろん心の底から楽しんでいる人もいるのだろうけど、自分がその中にいたらきっとそうではないだろうから。

 

ただそうやって会社勤めの人達の日常から距離を置く生活をとってきたことで、そういう環境での振る舞い方を忘れてしまってきている自分がいて、それが良いことなのか、悪いことなのか、釈然としないように思うこともあったりします。

社会性みたいなものは、もともとあまり持ち合わせていなかったけど、今はさらになくしてしまっていることを痛感します。

 

そういう思いのウラには、数少ない自分が好きな人達とは良い関係を築いていたいけど、それさえも無くしてしまったらどうしよう、という不安があるのかもしれません。

死ぬほどわがままな考え方なのは百も承知で、煩わしい人間関係はご免だけど人間関係が全くなくなってしまったらそれは余りにも寂しいと思ってしまいます。

 

 

最後に

グダグダ悩むのは時間の無駄だし人間関係に明確な答えはないから、結局のところ、「自由」を求める中でも大切にすべき人間関係をちゃんと大切にして、「ありがとう」と「ごめんなさい」をしっかり言えるようにすることが今できる最善なんだと言い聞かせる。

 

今はそれで精一杯なんだ。

 

今日の毎日一新

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