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ダサい大人にならない
くだらないこと
監査法人勤務時代、期末監査終了後に某クライアントと監査チームで打ち上げだか慰労会だか名目は忘れたが飲み会があった。
そこでそれぞれの出身地の話になった時のこと。
私は東京出身で最寄駅が山手線沿線なのだが、そのチームのパートナーとクライアントの取締役は何かそれが気に入らなかったらしく、妙に突っかかってこられた。
当時私は20代で、その方々は50代。
何を20代の若者にいい歳したオジサンがムキになっているのか不思議だったのだが、要は自分たちの方が「上」の存在だと思い知らしめたかったのだろうと思う。
そんなことをして何の意味があるのか未だによくわからないが、彼らにとってはそれが大事なことだったのだろう。
その他にも会員制のクラブの話やどこに住んでるか等、見栄を張ったようなことをよく話していた。
BIG4のパートナーと上場企業の取締役だから、肩書は立派なものだし収入も相当なものだろうが、随分器の小さい人達だなと思った記憶がある。
満たされない心
そうした他人との比較の上に成り立つ優越感であったり見栄やプライドは、自分自身への満足感の写し鏡だと思う。
満たされないものがあるから、優越感に浸り、見栄をはり、プライドをこじらせてしまうのだろう。
反面教師
人からどう思われるかを気にする必要はないと思うが、自分で自分を振り返った時に恥ずかしい人にはなりたくない。
時々こうやって、自分の言動が自分の思い描く理想と照らしてみっともないことになっていないかを考える事は大事なことだと思う。
失敗をするのを恥ずのではなく、満たされない心を、何かを貶めてみたそうとする意地汚い心を恥ずべきだ。
こうして考えてみると、他の誰かがどんな暮らしを送っていたとしても自分は自分ということをよく理解し、自分らしい毎日を全力で全うすることが何よりも優先させるべきことだと思う。
お金や肩書に価値基準を置くと上述した方々のように大事なことを見誤ってしまうのだろう。
そんなものではなく、毎日を充実した気持ちでどれだけ過ごせるか、そこに全力で立ち向かいたい。