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【書評】人新世の「資本論」
「人新世の「資本論」/斎藤幸平」
なるほどどうして話題になるのも納得の一冊だったように思います。
今回読んだのは「人新世の「資本論」/斎藤幸平」。
本著は一貫して資本主義社会から脱却し、コミュニズムすなわち社会主義に移行しようという主張であり、そしてその切り口は「気候危機問題」です。
社会主義というと、私を含め日本人の多くにはソ連や中国、あるいは北朝鮮のような国々のイメージがあると思いますが、ここではそういった国々とは一線を画した新たな時代の社会主義です。
著者はそのような社会主義を「脱成長コミュニズム」と呼び、気候問題に立ち向かい持続可能な社会を成立させるためにはそれ以外に道はないということを教えてくれています。
以下、気になったポイントを中心に紹介してみたいと思います。
人新世と環境危機
人新世という言葉を聞いたことがあるでしょうか?
人新生とは、ノーベル化学賞受賞者のパウル・クルッツェンが名付けた言葉であり、
「人間たちの活動の痕跡が、地球の表面を覆いつくした年代」(P.4)
とあります。
気候危機が明らかに無視できないレベルで深刻化しているのは誰もが感じていることでしょう。
真夏の最高気温が東京でも平気で35度を超過するようになり、数十年に一度規模の台風が毎年のように起こっては各地に猛威を振るっています。
これは日本に限ったことではなく、世界各国でも気候問題による異常現象が起きています。
オーストラリアでは2019年から2020年にかけて大規模な森林災害がおきwikipediaにも記載される深刻な被害をもたらしています。
同様にブラジルを中心にアマゾンの熱帯雨林における火災も当時たびたび報道されていました。
北極の氷の融解、アラスカの異常高温、中国の豪雨等、記憶に新しいものだけでも世界各地で異常事態が発生しています。
これは排出される二酸化炭素量の増大による温暖化が大きな要因を占めています。
見せかけのSDGsと気候ケインズ主義
こういった事態に対し、SDGsを掲げ世界的な取り組みが注目されるようになりました。
しかし筆者はこの見せかけのSDGsでは、この気候危機の問題は解決しないと言います。
先進国では二酸化炭素排出量の削減に取り組んでいますが、世界全体の総量で言えば維持するどころか増加しています。
これは新興国のせいでもなんでもなく、先進国がグローバル・サウス(≒発展途上国)にそういった負担を押し付け、外部化、不可視化しているにすぎないと言います。
また、これまで世界はそういった環境危機に対し、新たな技術で問題を解決しようとしてきました。
最近ではグリーンエネルギーやEV(電気自動車)が注目を浴び、環境危機の救世主のような扱われ方がなされています。
こういった事態の背景には、経済成長をさせながら環境危機も乗り越えていくという姿勢があります。
むしろ、経済成長のための好機とさえ捉えてしまう、それが資本主義の姿とも揶揄しています。
これを筆者は「気候ケインズ主義」と呼び、批判的に触れています。
当然そういった脱酸素への取り組みは必須としながら、それでは環境危機に対して手遅れになるというのが筆者の主張です。
すなわちこれまでの資本主義のやり方では、「ポイント・オブ・ノーリターン(急激で不可逆な変化が起きて、以前の状態に戻れなくなる地点)P.19」を迎えてしまうと言います。
資本主義と脱成長コミュニズム
そこで、この経済成長ありきの資本主義に今こそ終止符を打ち、目指すべき社会を「脱成長コミュニズム」と提示しています。
筆者は脱成長コミュニズムの柱として以下の5つをあげました。
・使用価値経済への転換
・労働時間の短縮
・画一的な分業の廃止
・生産過程の民主化
・エッセンシャルワークの重視
一労働者である私からみれば非常に魅力的な世界のようにも思えますが、世界の資本家たちには都合の悪い主張でしょう。
筆者はこの「脱成長コミュニズム」への取り組みを
資本主義と、それを牛耳る1%の趙富裕層に立ち向かう(P.361)
と記していますが、実際に立ちはだかる壁は想像以上に大きなものとなりそうです。
随分駆け足で、かつ、割愛してまとめてみましたが、是非詳細は本著を手に取って読んでもらえればと思います。
最後に
日本ではまだまだこのような論調は広く行きわたっていないように思います。
それだけ日本が世界に対して遅れをとっていることの証左にも思われます。
2018年の調査では、アメリカ人の若者の多く(18~29歳では51%、30~49歳では41%)は社会主義に肯定的で、18~29歳の層にいたっては、資本主義に肯定的な割合(45%)を上回っています。
AIや5Gで世界はこれまで以上に加速度的に変容していくと言われている一方で、このような脱成長を掲げ資本主義からコミュニズムに移行するという主張があることに驚く人も多いのではないでしょうか。
この2つは明らかに相容れない性質でしょう。
世界がこれからどちらに舵をきっていくのか、まだまだ前者の勢いが優勢でこの流れは容易には変わらないように思えます。
持続可能な世界を維持することができるのか、それとも手遅れになるまで無限の成長を追い求めてしまうのか。
本著を読めば目指すべき世界は見えてきますが、そこに至る道のみは明らかに容易ではなく絶望的なようにも思えます。
「おわりに」の章で筆者は、3.5%の人々が立ち上げれば世界は変わると言います。
それは果たして現実的な割合なのか。
今後も気候危機、コミュニズムから目が離せません。