Contents
生と死
祖父母の死
つい先日祖母が亡くなり、今日祖父が亡くなりました。
祖父母とも平均寿命よりも長生きし、晩年までは大病を患うこともなく元気な方だったと思います。
祖母にはこの正月にも顔を合わせ、だいぶ耳が遠くなっていたけどそれでも顔色は良くまだまだ長生きすると思っていた矢先でした。
祖父は90歳を過ぎるまで仕事を続け、そのせいもあってか痴呆になることも一切ありませんでしたが、1~2年前に体調を崩し最後には自分で起き上がれなくなっていたと聞きました。
コロナのせいで面会には行けませんでしたが亡くなるときには子たち(私の親たち)に見送られながら逝ったと聞き、せめてもの救いだったように思います。
親族の死に触れるのは久しぶりで、最近はたまにしか顔を合わせることがなかった祖父母の死はどこか現実感がないのは、まだうまく受け入れられていないということなのでしょうか。
祖父のこと
祖父は同業で、一般的な定年を迎えたあともずっと仕事を続けていました。
趣味が仕事のような人だったと思います。
また戦時中を生きた人だったので、お金は沢山もっていたはずですが、全くと言っていいほど贅沢することなく、亡くなるまでずっと倹約家の祖父でした。
それでも何かにつけて御小遣いやお祝いをくれる、そんな祖父でした。
そしてなにより口にはしませんでしたが、私が公認会計士になったことを喜んでくれていたと思います。
祖母のこと
祖母は今思えばいつも穏やかで笑顔だったように思います。
少なくても孫の前ではそうでした。
最後に顔を合わせた時も、腰が曲がり耳が遠くどこか辛そうであるのに笑顔で話しかけてくれていたように思います。
私が事務所を開いたと聞いたらお祝いをくれるやさしい祖母でした。
幸せとは
祖父母とも晩年はさすがに歳相応の暮らしぶりで、体力的にも大変なのは明らかで日々を生きるのが辛そうにも見えました。
それでも当人達はなくなる時に幸せだったと思っていたのでしょうか。
子も多くその分孫も多く、家族に恵まれて幸せだと思っていたでしょうか。
勿論今となっては知る由もありません。
残された者はそうであったと願うことしかできません。
幸いにも祖父母とも老人ホーム等に入ることなく、多少の家族のサポートだけで最期まで生きる事ができました。
支えてくれる家族はおそらく二人にとっても大きな存在になっていたと思います。
良くも悪くも、人は今ある現実を少しずつ過去のものとしていきます。
祖父母の死もいつか「そんなこともあった」と振り返るようになるのでしょう。
だから、できるだけ今のこの気持ちを忘れないようにここに残しておこうと思いました。
親孝行は生きているうちに、と言いますが、祖父母孝行できたかどうか自信はありません。
仮にどれだけのことをしても、自信をもって孝行できたなんて思えることはないでしょう。
私もそれなりに歳を重ね、これからの人生をできる限り後悔することなく生きていきたいという思いは強くなってきています。
そしてこうして時折命の重みに触れ、その思いは強くなる一方です。
家族を大切にするという、当たり前だけど難しいことを、後悔することのないようにし、生きていきたい。
今はそんな風に思います。