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「仕事ができる」とはどういうことか?/楠木 建 山口 周

最近読んだ本が山口 周氏と楠木 建氏の「「仕事ができる」とはどういうことか?」。

仕事ができる、という抽象的な価値観について、「センス」と「スキル」(楠木氏)、「サイエンス」と「アート」(山口氏)という切り口で分析している。

それぞれ用いる言葉は違えど、仕事ができるかどうかについて同じような考え方を持っており、私自身も非常に共感できる部分が大きかった。

 

「スキル」や「サイエンス」というのは、簡単に言ってしまえば数値化できるもの。英語力とか資格とか。

一方、「センス」や「アート」は数値化するのが難しく、だからこそ仕事の評価において軽んじられやすいものでもある、ということが語られている。

要は「あの人に頼めばなんとかしてくれる」というのが「仕事ができる」ということなのだけど、これは決して「スキル」をどれほど有しているかでは絶対ないよね、ってこと。でもこれはなかなか表現するのが難しく、また評価するのも難しい。だから得ていて数値化できるもので判断してしまいがち(労働時間や残業時間が評価に結び付くような組織はその典型)。

そして厄介なことにセンスのない人にセンスは判断できないから、センスのない人が上に立つ組織はセンスのある者にとって相当居心地の悪い組織になると思われる。だって、センスのない人は目に見える努力しか評価できないんだもの。

センスのある人で環境に恵まれていないという自覚がある人はよくよく身の振り方を考えた方が良いだろうと思う。

 

それから、センスというと「天賦の才」なんて言葉もあってか、先天的なものと思われがちだが、後天的に習得するものだ、という話も示唆がある。

おそらくセンスがある人ほど、この話には強く共感できるのではないだろうか。勉強したり仕事をしたり読書をしたり、その中で培われた経験を自分の中に蓄積する。ただし、その蓄積はただ単なる知識の蓄積(物知り)で終わるのではなく、独自にパターン化して自分なりに応用が効くようにストックしていく。

こうやって書いてみると、自分なりにストックしていくプロセスにことにこそセンスが求められる気もしてきたが、やはりそこにも経験や時間が必要だし、物事を抽象的に捉えようとする能動的な思考は必要だろう。この思考の繰り返しがセンスを作り上げていくと思う。

受験勉強なんかは知識の詰め込み型の勉強であまり意味がない、なんて揶揄されることもあるが、本当にただただ知識を詰め込んでいくだけで終わるのか、知識と知識を結び付けてうまく記憶に定着させようとするのか、そういう工夫がセンスであり、それがまたセンスを強化していくのだろうと思う。

 

仕事を気合と根性で乗り切りがちな人にオススメの本。